ねころこの備忘録

僕の開発の手順とか実験結果とか感想とかをつらつら書き込んでいくお墓.僕の魂を成仏させるためのお墓です.お経(いいね・ブクマ・コメント)待ってます

大学で2年間学生ロボコンをしてきた話

どうも皆さんこんにちは.
この記事は現段階で私の大学生活の90%以上を占めているロボコン活動の始まりから終わりについてまとめて書いてみようと思います.

昨年12月に,現役を引退し,今は余生を送っていますが,私がロボコンを始めるきっかけを作ってくれた方への感謝もあり,今回まとめてみることにしました.
それでは始めます.

暗黒期

暗黒期を話すために私の高校時代について話します.
高校時代に授業でハイブリッドロケットを作りました.
私はロケットに乗せる缶サットという観測器を設計製作する班になりました.今思えばこのころから単独行動が目立っていました.
なぜ缶サットの制作を行ったかと言うと,私がプログラミングが好きだったからです.

班員は2人でしたが,もう一方は知識もなければやる気もない.
私はArduinoで加速度センサや気圧センサを使い,高度測定,速度の計算を行うためのLoggerの設計製作を行っており,パラシュートのための開放機構の制作も並行して行っていました.

そして,実際にロケットを飛ばし,結果は失敗に終わりましたが,設計製作を行っていた期間得た知識もあり,私は単段式ロケットのエンジンの設計をしたいと思うようになっていました.
それで,大学受験はロケットの勉強ができるところを受け,滑り止め程度はダーツで決めました.

まあ,落ちたことは言わずもがなであると思いますが,こういった経緯で,私は工学部機械工学科に入学しました.
なぜダーツで決めたのかと言うと,「機械設計ができればどこの大学でもいいや.」という考えだったからです.
このころの私はロケットのエンジン設計の夢を諦めていませんでした.

しかし,そこで私を待っていたのは悲痛な現実でした.



精進期

工学部機械工学科と言いながら,授業はほとんどが基礎科目ばかりで,私のモチベーションとやる気のほとんどは空回り状態で非常に満足していない状態でした.
大学はもっとハイレベルで面白い授業だと思っていたのに,がっかりしていました.

申し訳程度にある実験も機械ではなかったので,私自身ロケットのエンジン設計という夢を諦めつつありました.
なかなか勝手な奴ですね.
ダーツで決めた大学で,自分のやりたいことができず,堕落していただけです.
今思えば,もっとエンジン設計ができる大学は他にありました.
今となれば,今の大学に来たことは,私にとって非常に良かったと言えます.

ロケットどころか,機械の機の字も出てこなかったので,私自身前から大好きだったプログラミングの勉強を再開することにしました.
理由は,ロケットのエンジンの設計では,専門学科の人と比べたら何千歩も遅れてるのなら,せめてシミュレーターの設計をしたい.そういう思いがあったからです.
そこでひたすら勉強していました.

どれぐらいかと言うと,授業なんてほとんど聞いていませんでした.
そしてだんだんと私の目標がWeb系のプログラマーになることに変わっていました.
理由はもちろんあります.私は情報の発信者になりたかったんだと思いますが,今となってはほとんど覚えていません.

これでだいたい半年ぐらい,私はいろんなプログラミング言語の勉強をしていました.
ベースはC++で,たまにHTML,CSS,JSなどを勉強して,サーバーサイドの勉強もしていました.


転機

しかし,半年たったころに,私はぼっちであることにすこし悲しさを覚え,「ひとりじゃそろそろつらい,プログラミング仲間が欲しい」
と,Twitterでつぶやきました.

その時に,同じ機械科の友人に,
「CSの先輩いるし,ロボコン来てみないか?」
と誘われました.

この時の私は,とんでもなくコミュ障(今も)だったので,おどおどしながらミーティングに参加しました.

確かにCSのプログラミングがとってもすごい先輩に出会いました.
しかし,この時にはWebプログラミングなんてどうでもよくなっていました.

先生にマイコン1台を渡され,これで勉強してと教材をいただきました.
この時私は,工業高校以来,久しぶりにマイコンを使い,モータを動かし,ものづくりとはたのしい!と舞い上がっていました.
当時恋人がいた私は,クリスマスイブも関係なく大学へ行き,勉強をしていました.
のちにロボコンに熱中しすぎたことで,振られてしまいました.

ロボコン期

ロボコン2017年大会

ロボコン参加が,2016年10月頃でした.
皆さん大好きAPPAREです.
この頃同年代で制御は私だけで,無知な私は先輩とたくさんの議論を繰り返し,無知っぷりを晒しながら成長していました.
私の同期(4人)がロボットの設計製作を行っており,それの完成時期までに制御の勉強を終了し,そのロボットの制御を行うことを目標にしていました.

そして年末ごろには,NHK機体のプロトタイプの制御ができるまでになりました.
APPAREでは,結局最後までひとりでロボットの制御をすることになり.NHK機体を,実は私ひとりで制御しました.

仲間との衝突も何度かありましたが,毎日たくさんの練習をして,一緒に床で寝たりしました.

試合当日は,相手チームの胸を借りる形になりましたが,自分たちのやりたい試合を行うことができ,勝利を収めました.
私は感無量でした.
この瞬間のために生きていたと実感できるほどでした.


NHK大会の後は,東海地区交流ロボコンに挑戦しました.
この時に私は3輪オムニに出会い,オムニホイールが大好きになりました.
全方向移動機構,オドメトリ素晴らしい!となりました.
特に思い出もないので,次に行きます.

ロボコン2018年大会

2018年大会,これはロンバイですね.
ロンバイでは,初めての自動制御に挑戦をし続け,本当に挑戦の年でした.

どれだけ挑戦したかと言うと,
初めてのマイコン,初めて誰かと一緒にひとつのロボットの制御,初めての自動制御,初めての追従制御(物理)などです.
前年の成績もあり,非常にいい場所で練習させていただきました.この説に関しては,担当してくれた方々に頭が上がらないぐらいですね.

実は追従制御(物理)は,まあ,私が制御したんですけど,当初は開発が難航していて,
私の目の前で代替案がミーティングの議題になるぐらいでした.
私自信は全く諦めておらず,こんな議題なら私は自分の作業をやりたいとおもっていました.
そのおかげもあり,なにくそーーとなった私は,期限までに開発に成功して,無事に代替案を白紙に戻すことに成功しました.

これは完全に界隈の人にしか伝わらないだろうし,伝える気がないのですが,リレー方式(NHK)ですね.

本当に苦労していました.

当時は,ロボットの挙動を調べるために仲間に撮影を頼んだり,センサデータのビジュアル化をして,実際の環境で動作確認をしたり,仲間には本当にたくさんの時間,遅い時間までお世話になりました.
時には仲間に椅子(CRの代わり)を押させて,動画を撮影して確認して,ひたすら修正していました.


テストランでは無事ロンバイをして,これは勝てるなと思っていましたが,結局予選敗退でした.
正直負けた理由もよくわからないし,どこのチームに負けたとかも覚えていません.


その後は,技術開発を行っていました.この時点では現役です.


就活期

就活に関しては,2社受けました.
受けた会社が少ないのは,私自身非常にメンタルが非常に雑魚(ロボコンでも何度も失踪しています.そう何度も)なので,
短期決戦じゃないとダメだろうなという確信があったからです.
学部3年の1月末に内々定をいただきました.


ひとつは上流工程を行う,アウトソーシング系の会社です.これは選考辞退しました.
もうひとつは,鉄道業界で精密機器を製造販売している会社です.こちらは内々定を承諾しています.

きっかけは,あるサイトでダイレクトリクルーティングされたからです.
書類選考,会社説明会免除で選考してくれるというので,なんとなく行ったらいい感じだったので,
内々定をもらった時に即決しました.

しかし,当時の私は,2社しか受けていないのに,メンタルが既に終わっていました.
ロボコンで耐えがたいトラブル(コンパイラ周りで…)が発生したのも原因でした.
当時の私では,どうしても対処ができず,夜も寝られない日々でした.

さらにはロボコンの忘年会の出席に失敗して,完全にメンタルがダメになり,その直後に,ロボコンの現役を終えることになりました.
当時の私は,そんなことはどうでもいいから,疲れた…と言う気持ちでたくさんでした.

今思うとやり残したこともありますが,当時の私にとっては知ったこっちゃないという感じだったのでしょう.

実は私は非常に繊細(自分で言うか)なので,就活のストレスで,生活のリズムが若干狂い(ロボコンでメンタルが弱っていたのもあるでしょう),そのまま再起不能になりました.

と言う感じで,あっけなく現役の幕を閉じています.

ちなみにメンタルがダメになったのが,12月の3週目で,ロボコンのメンバーと顔を合わせて会話ができるようになるまで,1ヶ月以上の時間を要しました.


現在

現在は,ロボコンでお世話になった先輩や,先生のやってくださったことを後輩にも伝えるために,後輩の指導をしています.
私自身,他人に何かを教えるということが,すごく苦手で,後輩たちには迷惑をかけています.

また,すごく不甲斐ない形で現役の幕を下ろしてしまったので,ロボコンに対して非常に未練が残っています.
後輩の指導をするとともに,将来自分が何かしらのロボコンをするために,日々精進し続けている限りです.

最後に

文字数が多くなり,非常に駄文ではありますが,ここまで読んでいただきありがとうございます.
一時期は私のメンタルが良くない状態にあり,メンバーの悪口を言った時期もあるとは思いますが,魔がさしていただけです.
2年間苦楽を共にしてきた仲間です.こんな最高な仲間はほかにいないですし,私のような制御屋は機械屋がいてこその制御屋なのです.
私がここまで気持ちよくロボットの制御を行ってこられたのは,ほかでもない機械屋である仲間たちのおかげです.